神聖喜劇 巻末最終文

神聖喜劇」は、私の学生生活の終わりから社会人生活のはじまりにかけて読んだのだけれども、
中でも、主人公「我流虚無主義」東堂太郎の「私は、この戦争に死すべきである。」という科白を、いまでもふっと当時の心境と共に思い出すことがある。
そんな自分のためメモ。

 私の兵隊生活(ひいては私の戦後人間生活)は、ほんとうには、むしろそれから始まったのであった。しかし、たとい総じてたしかにその胚胎が一期三ヵ月の間の生活に存在したにしても、もはやそれは、新しい物語、――我流虚無主義の我流揚棄、「私は、この戦争に死すべきである。」から「私は、この戦争を生き抜くべきである。」へ具体的な転心、「人間としての偸安と怯懦と卑屈と」に対するいっそう本体的な把握、「一匹の犬」から「一個の人間」へ実践的な回生、・・・・・、そのような物事のため全力的な精進の物語、――別の長い物語でなければならない。