八束はじめの『建築における「日本的なもの」』の書評

http://tenplusone.inax.co.jp/review/monthly/index0306.html
↑個人的な興味(古い)

磯崎は「日本趣味」の問題機制が浮上するのは1930年代になってからだとしているが、上記のようにそれは正確でなく、伊東が中心になった明治末の国民様式論争でも問題にされている。30年代の議論はかなり特殊なその組み替えである。

翻って、私は最初からそれをしようという立場にはない。これは後発世代の特権かもしれないし、逆に弱みなのかもしれない。しかし、この卓越した議論にも拘わらず、迷路の記述には更に隘路に踏み入る可能性が残されている。私はそれに1000枚を超える大部の分量を費やし、おまけに内容的にあちこちと無闇に広がるはめとなってしまったので、ここにそれを要約することは出来ない。師匠の本をダシに自らのコマーシャルを行なう厚顔をお許し願えれば、次の機会をお待ち願いたい。

本になったら読みたいな。
どこぞの編集の方、出版して下さい。