p1*[DVD]アワーミュージック

アワーミュージック [DVD]

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★★★★☆

ゴダールといえば、、の浅田彰トークショウの要約が以下に
http://www.cafeopal.com/reviews/2005/11/11-134546.php

「個人の幸福は、二人で生きることにある、個人は二人で寄り添って生きることを望むのに対し、国家はひとりひとりに分断すること望む」

(※追記)
上記の講演に関して詳しくは付録ブックレットを参照されたし。

あら、コメント消えた?

浅田彰 『通りすがりの浅田彰です。トークを聞かれた方がウェッブ上に要約を書かれるのを禁ずることはできないけれど、どうしても誤解やミスがたくさん入り込んでしまう。問題の講演の記録は、一応きちんと編集された形でヴィデオの付録ブックレットに採録されているので、できればそちらを見ていただきたいと思います。』(2006/11/19 16:39)
hamuhiko 『浅田氏御本人かどうかはさておいて、
連載 第二十九回「続・憂国呆談」番外編Webスペシャ
2005年2月号
http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200502/index.html#comment
最下部、浅田氏・注を再読。

・・・「この種の催しの後、記録や要約を勝手にネット上に発表する人がいるけれど、できれば公表は控えてもらいたい。もとより、著作権を強く主張するわけではないし、公表を現実に抑止する力もない。ただ、もし自分が著述家だったとして、自分が即興的に話したことが勝手に記録され、チェックすることも修正することもできないまま聞き間違いや誤解などを含む形で公表される[そして悪くするとそれがまた別のところで引用され論じられる]という事態を考えてみれば、それがいかに困ったことかは想像に難くないはずだ。・・・

シンポジウムを勝手に記録したものが公開されるというのは、画家の展覧会を勝手に模写したものが公開されるようなもので、それに基づいてそのシンポジウムや展覧会のことが論じられるとすればやはり問題でしょう。たとえば印象派の展覧会のカリカチュアが当時の新聞に出たように、カリカチュアにしてしまえばいいだろうという考え方もあるでしょうが、それはディーセントな対応とは言いがたいものです。
 そもそも、「情報一般に伴う条件」といいますが、誤解や誤配は「情報一般に伴う条件」だから不可避だし、それでいいのだ、と言い切ってしまうとすれば、それは安易な居直りでしかないでしょう。(デリダに即して言えば、徹底的に正確に読もうとするにもかかわらず、いやむしろそれゆえにこそ、どうしてもズレが生じてしまう、簡単に言えばそういった問題を考えているのであって、安易なコピーが氾濫しオリジナルが雲散霧消していくのが「情報一般に伴う条件」としての「散種」だ、というようなことを言っているのではありません。)とはいえ、私は、旧来のような著作権法や編集・校閲システムなどによって縛りをかけるのがいいと思っているのではなく、できれば個人の自律と、相互のフランクな意見交換によるチェックによって、最低限の情報の正確さを保っていければ、それに越したことはないと思っています。先のようなコメントを送って自省を促したのも、そのためです。
・・・本来ならば、問題になっているテクストや展覧会カタログを自分でチェックして確認してから、それについて書くべきところです。旧来のアカデミック・トレーニングのシステムや編集・校閲システムの下では、それがpublicationにあたっての当然の手続きでした。繰り返しますが、そういうシステムによって縛りをかけるべきだと言っているのではありません。そういう反動的な主張に対抗するためにも、ひとりひとりがもっと正確さを期して責任をもった発言をすべきだと言っているのです。

・・・ウェッブでよく見られる情報のルースな取り扱いが問題なのである。


「ひとりひとりがもっと正確さを期して責任をもった発言をすべき」ですね。
webのみならず、ごく一般においても忘れられがちな上記のような至極まっとうな倫理に私も留意してまいりたいと思います。』(2006/11/19 19:16)