言葉

国木田独歩の『忘れえぬ人々』を取り上げながら、柄谷はこう書いている
「周囲の外的なもの無関心であるような「内的人間」inner man において、はじめて風景が見出される。風景はむしろ「外」を見ない人間によって見出されたのである。」

「原住民の思考のなかでは、すでに見たように、装飾は顔なのであり、むしろ装飾が顔を創ったのである。顔にその社会的存在、人間的尊厳、精神的意義を与えるのは、装飾なのである。」
これを受けて、柄谷はこういっている。
「顔は、もともと形象として、いわば「漢字」のようなものとしてあった。顔としての顔は「風景としての風景」と同様に、ある転倒の中ではじめて見えるようになるのだ。」

国木田独歩の「風景の発見」には、経験的な自己に対する超越論的な自己の優位を示すイロニーがある。それは現実に無力な自己を高見におく転倒をもたらす。近代文学はそのようにして政治的表現を無化する視点を与え続けたのである。」

青本往来記041011分
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