言葉

「〜は(普通思われているような)〜ではない」「しかしその理由は、〜でもなければ、〜でもない」「じつは〜は〜なのである」「〜ということではない」「むしろその逆で」「〜なのである」「ない」「ない」「ある」「ない」……。

これは一言でいって「催眠術師」のやりくちだ。柄谷行人の文章は、ほとんどすべてこのようなエクリチュールの執拗な繰り返しによって成り立っている。だから、それに一度気づいてしまえば、少なくとも「催眠術」にかかることだけはなくなる。僕が笑ったのは、柄谷行人のこのエクリチュールが、前田愛が1976年にすでに指摘していたこの「×」の「否定形を積み重ねて行く」「饒舌」によってもたらされる「発想や論理」とそっくりだったからだ。


《陸這記》 crawlin’on the ground より
http://d.hatena.ne.jp/solar/


そういえば、昔柄谷は神秘主義にはまって催眠術を習っていたような。
「批評とポストモダン」(今は廃刊)だっけ。
ひょっとしてあのエクリチュールをを作り出すために習ってた?